適度な村社会の居心地よさと依存の危険性

はてなのいいところは、知り合いで構成された居心地よさにある。「id」をつけて呼びかければ、気軽に呼びかけられる気安さがある。キーワードで重なったり、どこかでコメントされていれば、覗きに言ってその人となりを知ることができる。そして、気に入れば自分のコミュニティを拡大することもできる。

かといって、他SMSのようにその内部だけに閉じているというわけでもない。内部に関してはトラックバックというのものの敷居が低くなっているという程度だ。そのため外部からみると、はてなコミュニティという敷居を感じるかもしれないが。

さて、一方他人(会社)の提供するシステムに依存しているということは、その人(会社)の都合や事情に左右されてしまう、という側面がある。結城さんが「自分が「はてな」の利用を停止する理由を考える」で言及されているように、はてな側の都合で任意の時点で自分のコンテンツが利用できなくなることはありえるし、それに対して即時に実効的な措置は取れない。無料サービスを利用しているのだから仕方がない、という考えもあるだろうが、実際有料であってもそれほど危険性は変わらない。

このあたりは、オープンソースの成立のいきさつにも似ている。自分が使い続けたいソフトウェアがあっても、会社なり個人がそのソフトウェアを抱えていなくなってしまった場合、それにかけていたコストはかなり無駄になり、代替物を探し習得するコストが生じてしまう。よって、共有物であるオープンソースをみなで維持管理していこうよ、というのがひとつの解決策であったわけだ。結局、他人に依存する危険性と集約するがゆえに提供可能な利便性をどのように天秤にかけるか、という話になってくる。

私自身についていえば、もともと自分のドメインをとった理由は、自己同一性維持にある。卒業や異動のたびにそれまで溜め込んだコンテンツを引き上げて展開するのがいやだったというのが大きな理由だ。その時点で取りこぼしたものも多い。まあ、他の人にとってそれほど有益なものではなかったかもしれないが。ともかく、そうした理由で失われていくネット上のリソースは少なくなく、自分の持ち物についてはそれを避けたいと思ったのが動機だ。

そういう意味では潮時かな、とも思う。はてなはしばらくつぶれたりはしないと思うけど、かなり一方的なサービス停止の可能性があるということでは使い続ける価値はあまりない。はてな上で展開したリソースをいきなりいっぺんに閉じたり引き上げたりはしないつもりだけれど、ぼちぼち自分の巣に持ち帰っていこうかと思う。

ある種の同好の士をつなぐトラックバックシステムがあるといいのかもしれないね。