子供の塾へ保護者面談に行く

待合室でToshin Timesというチラシを見かけてえらく懐かしくなる。東進スクールには中学生時代お世話になりました。まあ、実際にお世話になった先生方は卒業(?)後他へ行かれてしまいましたが。体育系とは無縁だった自分としては、唯一に近い熱血の思い出かも。努力!勝利!な世界だったなぁ。友情は微妙。灘とか開成は男子校だったので、実力テストでは館内6位まで上がったにも関わらず、合宿クラスが1ランク下でむかついたりしたっけ。

高校はこっちに帰ってきてしまったので、のんびりして勉強しなかったけど、結局自力での勉強法が身についていなかったのだろうね。塾って受験勉強に特化したブーストをかけるので、偏りはある。でも、あのころ大量に計算練習をしたから後でそんなに苦労しなかったという面は確かにあるので、目的が明確でない間は仕方ないのかなぁ。

そもそも論として、学校に行ってどうするんだというのはあるけれど。学校勉強に価値が見出せないならば、他の生きる道を模索する手伝いをせねばなるまい。末端とはいえ最高学府に勤務しているにも関わらず、正直今でも価値を見出せない面が否めない。同じ労力を他の能力成長に投下した方が社会的に価値が高いのではないか、と絶えず疑問を抱いている。

でもなあ、計算の理論なんかも評判は悪いけど、フォン・ノイマン型コンピュータの限界を深く納得するには、あるいは正規表現エンジンの内部構造の理解やコンパイラの内部構造の理解には不可欠と言えば不可欠だったりするしなぁ。まあ、そこまで理解しなくても使うだけなら使えるんだけど。

悩ましい。何をして食っていくのか早くビジョンを持ってくれないもんか。…もっと困窮させないとダメかな。