社会固有の言い回し

どのような小さな社会でも、いや小さな社会であればあるほど、特異な言い回しで仲間であるかを判別する。視覚情報が使える場では、身だしなみやしぐさも識別信号になりえる。通常の会話に織り交ぜて使えば、反応する相手を仲間だと識別できたりもする。

その社会に所属していないものにとってはそうした情報はノイズ(意味不明なもの)であり、理解できなければ不快である。それがある社会内で使われていて、自分が使えないと分かると、疎外感を感じる。小さな単位で常時生じている事象である。大抵は、外からしばらく観察して、符号を読み取り推測して、ぎこちなく模倣しながら受け入れられるのを待つ、という作業を行う。

「EQこころの知能指数」(ISBN:4062080486)では、集団に参加する技能に優れた子供の例が示されている。まず観察し、参加者の模倣をしてから、参加者に話しかけて受け入れられるというステップを器用に行うらしい。対人能力の低かった(今でも低い)自分にはうらやましい…。

ぱどタウンのようにかなり特異な文化が発生している場合は、なかなか大変なのは確かである。特異な文化が発生していると、敷居が高くなるので、閉鎖的に見られる。それともあえて敷居を高くして、閉鎖的にしているのか。仲間意識を強めるためには符号を増やす方向に向かうし、増えれば複雑化する。自動的に起こってしまうことなのだろうか。ふむ。

などとつらつらと考えてしまいました。だから仕事しろって>自分。